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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)5531号 判決

原告

本間悟

右親権者法定代理人兼原告

本間徹

本間フサ子

右原告ら三名訴訟代理人

古瀬駿介

仲田信範

被告

綾瀬眼科医院こと

黒田友子

右被告訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一悟が昭和五二年一一月一四日被告に受診し、被告は細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査を行うことなく、急性結膜炎と診断し、悟は同年一二月九日まで実日数一二日間通院治療したこと、昭和五三年一月一一日悟は右眼視力障害を主訴として被告に受診し、視力検査、眼底検査を受け、視力障害及び右眼底黄斑部の混濁が認められ、同年二月一〇日まで実日数五日間通院治療したこと、昭和五三年二月一三日悟は慈恵医大青戸分院に受診し、右眼黄斑変性の診断を受け、同年六月二六日まで一週一回程度通院治療し、同年同月二七日慈恵医大本院に転院し、同年八月一五日光凝固術を受けたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二〈証拠〉及び前記争いのない事実によれば、次のとおりの事実が認められ〈る。〉

1  昭和五二年一一月一三日悟(昭和四四年三月生)は友人の投石を受け、右眼斜め下の顔面に傷痕を残した。当夜悟は右眼痛を訴え、右眼は充血し、眼脂が出ていた。

2  翌一一月一四日悟は右眼が痛い旨訴えて被告に受診し、母原告本間フサ子から前記投石の事実を被告に告げた。

被告は問診ののち斜照法等により視診し、さらに触診し、右眼結膜の充血、眼瞼の腫脹、眼脂を認めたが、皮下出血はなく、角膜、瞳孔反応には異常がなかつた。被告は急性結膜炎と診断し、洗眼して右眼にアクロマイシン軟膏を塗布し、眼帯をし、エコリシン点眼薬を投与した。

被告は細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査を行うことがなかつた。

3  その後悟は同年一一月一五日、一六日、一六日、一七日、一八日、一二月一日、二日、五日、六日、七日、八日、九日被告に通院し、洗眼及びエコリシン点眼の治療を受けた。

同年一二月九日には右眼の腫脹、眼脂もみられなくなつたため、被告は治癒と診断した。

その間、被告は細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査を行うことはなかつた。

4  昭和五三年一月悟は学校で右眼視力障害の疑いを指摘された。

5  同年一月一一日悟は右眼視力障害を主訴として被告に受診し、改めて母から前記投石の事実を被告に告げた。視力検査の結果右眼の裸眼視力0.1、矯正視力0.5と判明し、眼底検査の結果右眼の黄斑部に瘢痕混濁が認められた。被告は瞼結膜炎、右眼打撲症と診断し、クロマイ点眼薬を投与した。

6  その後悟は同年一月一二日、二〇日、三〇日、二月一〇日被告に通院し、クロマイ点眼薬の投与を受け、一月二〇日、二月一〇日には視力検査及び眼底検査を受けたが、その結果は前同様であつた。

同年二月一〇日被告は悟の母に対し黄斑部の病変につき高度の精密検査の必要のあることを告げて大学病院への転院をすすめた。

7  悟は昭和五三年二月一三日慈恵医大青戸分院に受診し、右黄斑変性の診断を受け、同年六月二六日まで一週一回程度通院治療した。同日現在右眼の視力は0.02に低下していた。

8  同年六月二七日悟は慈恵医大本院に紹介転院し、同年八月一一日入院し、同年八月一五日全身麻酔で右眼光凝固術の施行を受けた。術後、螢光で漏出点はマイナスであり、右眼視力0.05であつた。

9  昭和五六年一月現在悟の右眼裸眼視力は0.03である。

以上認定のとおり、被告は昭和五二年一一月一四日悟が投石を受けた事実を告げられたが細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査を行うことなく、その後、昭和五三年一月一一日悟の右眼の黄斑部に瘢痕様混濁を認めたが瞼結膜炎、右眼打撲症の治療をつづけたものである。そして、悟は昭和五三年八月慈恵医大本院で光凝固術の施行を受けたが、昭和五六年現在右眼裸眼視力0.03となつている。

三そこで、被告の債務不履行ないし不法行為の成否について検討する。

〈証拠〉によれば、次のとおり認められ〈る。〉

1  悟は友人の投石を受け、右眼斜め下の顔面に傷痕を残していたのであるから、被告としては、昭和五二年初診時、当然眼球自身への打撲も考え、視力検査、細隙灯顕微鏡検査さらには眼底検査を行い眼内の打撲による障害を発見すべきであり、また打撲の影響は受傷後時間とともに増強する場合があることからも再診時に検査を追加していくべきであつた。

悟は、慈恵医大青戸分院及び本院において、黄斑部領域を含み眼底後極部に広く網膜脈絡膜萎縮巣を認め、一部には白色線維性組織が存在し、螢光眼底撮影により螢光色素の漏出を認める部位もあり、前房隅角部にも異常の存在が認められている。

このような病変を生ずるほどの打撲であるならば、初診時被告が眼底検査ないし細隙灯顕微鏡検査を行つていれば黄斑部に異常を発見できたはずである。

2  被告は、昭和五三年一月悟の右眼の黄斑部に瘢痕様混濁を認めているところ、同年二月一三日慈恵医大青戸分院において直ちに外傷による黄斑変性と診断のつくほどの病変が存在したのであるから、右眼打撲症を主体にして診断治療を行つた被告の処置は妥当であつたということはできない。

3  打撲を原因とした黄斑部の障害として網膜の浮腫、出血、組織欠損、ブルック膜断裂、脈絡膜の破裂などが生ずる。

網膜の浮腫、出血に対し通常、止血剤、抗炎症剤、循環促進剤、ビタミン剤、副腎皮質ホルモンなどの投与が行われるが、その効果は完全なものではない。また、高張食塩水結膜下注射、温罨法、赤外線等を用いるが、効果は少ない。

黄斑部浮腫、混濁の原因は限局性網膜剥離ないし網膜色素上皮剥離で、その発現は脈絡膜血管からの液体の漏出によるものであることがわかつたので、液体(螢光色素)漏出点を光凝固することが原因的治療に近いものと考えられているが、原則的には、漏出点がなるべく中心窩をはなれていること、凝固はできるだけ弱い程度に行うことが常識とされている。

しかし、光凝固術は人為的に網膜組織の瘢痕形成をもたらしめるとともに、その部の視機能を永久的に消滅させてしまうという弱点を有する。光凝固法の副作用としては、網膜に存在するミュラー細胞の増殖、網膜における血管増殖があげられている。

4  悟は受傷後二か月昭和五三年一月一一日右眼の裸眼視力0.1、矯正視力0.5であり、当時比較的に中心小窩の機能は保たれていた(鑑定人秋谷忍の鑑定の結果及び証人秋谷忍の証言によれば、当時の裸眼視力0.1を前提とした同証言であることは明らかである)。このように生体の修復機転が働いているときに改めて光凝固による外傷を加える必要はなかつた。

5  悟は昭和五三年二月一三日から同年六月二六日まで慈恵医大青戸分院で治療を受けたが、光凝固術の施行を受けることはなかつた。そして、同日現在右眼の視力は0.02に低下していた。

6  昭和五三年八月一五日悟は慈恵医大本院で光凝固術の施行を受けたが、結局、昭和五六年現在の右眼裸眼視力は0.03である。

7  悟の右眼の中心小窩領域の色素上皮細胞、ブルック膜及び脈絡膜の障害は進行し、中心小窩の機能の低下は免がれない運命にあつたものである。

四以上の次第で、被告が細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査を行わなかつたこと並びに黄斑部の瘢痕様混濁を認めた後にとつた措置は、いずれも適切でなかつたということができる。

しかしながら、被告の診断期間中は、生体の修復機転が働き悟の右眼の中心小窩の機能は保たれており、光凝固術施行の適期であつたとみることはできない。慈恵医大青戸分院においても昭和五三年二月から六月までの間光凝固術の施行をしなかつたところである。そして、同年八月に至り慈恵医大本院において光凝固術を施行したが、悟の右眼裸眼視力は0.03にとどまつたものである。

結局、被告のとつた措置の適不適にかかわらず、右の結果を免れなかつたものとみる外ない。右の結果につき被告に帰責事由はない。

五〈省略〉 (大前和俊)

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